『レベルE』の舞台となった山形県は、冨樫義博さんが生まれ育ち、漫画家になるまでを過ごした土地です。
本人は大学時代を振り返り、山形で好きなことを見つけ、そこで蓄えたものが上京後の自分を支えていると話しています。
宇宙人が現れる漫画の舞台と、作者が親しんだ故郷。
冨樫さんが山形をどんな場所として語ってきたのか、子ども時代から地元での仕事までをたどります。
宇宙人がやって来るのは、作者が親しんだ山形
『レベルE』は、1995年から1997年まで連載されたSF漫画です。
『幽☆遊☆白書』を描き終えた後、『HUNTER×HUNTER』が始まる前に発表されました。
物語の冒頭では、野球少年の筒井雪隆が一人暮らしを始めた部屋で、見知らぬ青年と鉢合わせします。
その青年が、地球へやって来た宇宙人でした。

山形大学の広報誌『みどり樹』2016年春号は、冨樫さんの故郷への思いを紹介する中で、『レベルE』の舞台に山形を選んだことに触れています。
作者にとって身近な土地が、宇宙人と人間の出会う場所になったわけです。
故郷の思い出は、雪と川のそばにある
冨樫さんは山形県新庄市の出身で、高校時代まで新庄、大学時代は山形市で暮らしました。
地域広報誌『U-zen』の取材では、小学生の頃は外で遊んでばかりだったと振り返っています。
冬には、側溝に雪を詰め、水がたまったところで一気に流す遊びをしていました。
通学路でも、川べりで雪玉を投げていたそうです。
友達とよく出かけた泉田川では、泳いでいる友達を見ながら、水切りや岩沿いの洞窟探しを楽しんでいました。
故郷について尋ねられた冨樫さんが語るのは、観光名所よりも、こうした遊び場の風景です。
同じ取材では、街が発展することはうれしくても、慣れ親しんだ場所まで変わっていくのは寂しいと話しています。
道路や川を整備する際にも、自然や昔ながらの姿をなるべく残してほしいという思いがありました。
冨樫さんにとって故郷は、眺めて楽しむ景色だけではありません。
雪を触り、水を流し、岩のそばで遊んだ場所でもあるのです。
のんびりしたいときに思い浮かべるのも、新庄の風景だと語っています。
山形で過ごした時間が、漫画家になった後も支えになった

冨樫さんは山形大学の教育学部美術学科に進み、美術教師を目指していました。
美術研究会で油絵を制作する一方、活動のない日は授業が終わるとアパートへ戻り、漫画を描いていたそうです。
教育実習を経て進路を変え、漫画賞への投稿を重ね、在学中にデビューしました。
この大学時代の進路変更が、その後の連載へつながります。
『みどり樹』の取材で、冨樫さんは、刺激や誘惑の少ない山形で過ごしたからこそ、自分のやりたいことを見つけられたと振り返っています。
当時蓄えたものを、冨樫さんは「栄養みたいなもの」と呼んでいました。
それがあるから都会でも頑張れているのかもしれない、という言葉です。
同じ取材で、冨樫さんは、大学で好きなことを見つけ、必要になれば都会に出ればよいと学生に伝えています。
山形でやりたいことを探した自分の経験が、後輩への言葉にもなっています。

チラシの裏に描いた祭りを、漫画家になって描く
故郷との関わりは、漫画の舞台選びだけではありません。
冨樫さんは、新庄市のキャラクター「かむてん」のデザインも手がけています。
さらに2016年には、新庄まつりを題材に『広報しんじょう』8月号の表紙を描きました。

大きな龍を載せた山車の周りに、ゴン、キルア、クラピカたちが集まっています。
新庄市が、地元ゆかりの漫画家らに表紙を依頼した企画の一枚です。
作品の人物たちが、作者の故郷の祭りに加わったような絵になっています。
冨樫さんが同号に寄せた言葉には、この祭りに親しんだ子ども時代が出てきます。
自分で考えた山車をチラシの裏に描いて、にやにやしていた子どもだったそうです。
宵祭りの華やかな明かりと、お囃子が近づくときの高揚感も語っています。

チラシの裏に描いて楽しんだ祭りが、今度は作品の人物たちを登場させる仕事になった。
故郷の楽しみと漫画の仕事が一つになった表紙を通して、冨樫さんは新庄の祭りを広く知ってもらう企画にも参加しました。
まとめ
冨樫さんにとって山形は、漫画家になるまでの経験を蓄え、その後も自分の絵で関わってきた故郷です。
『レベルE』では宇宙人の騒動が起きる場所ですが、本人が思い浮かべる新庄には、川遊びや祭りに夢中だった日々が残っています。
奇妙な物語の舞台を、作者が親しんだ土地として見直せる。
そこに、冨樫さんの言葉から山形をたどる楽しさがあります。


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