『天』「無念が願いを光らせる」とは何か――赤木の願いと、思いどおりにならない人生

無念だと語り涙を浮かべる赤木しげる 天 天和通りの快男児
『天 天和通りの快男児』福本伸行、第18巻。

最期の赤木しげるは、涙を浮かべて無念だと語る。
その赤木が、無念は願いを光らせるともいう。
悔しさを認めながら、自分の生き方を肯定するのはなぜなのか。
赤木自身は、無念であることを「生の証」だと語る。
かなわなかった願いも含めて、自分の人生を受け止める言葉なのだ。

赤木の「無念」は、天の問いへの答えだった

天は、自分や妻たちと一緒に暮らし、家族になっていこうと赤木に申し出る。
赤木にまだ生きていてほしいという、天自身の願いだ。
赤木は天に感謝し、友がいたことに救われるが、最期の決断を変えない。

自分が赤木を死なせたくないと訴える天
『天 天和通りの快男児』福本伸行、第18巻。

天はなお、赤木にはまだ分からないこと、味わっていない感情や世界があるはずだと訴える。
そして、無念ではないのかと赤木に問いかける。
赤木の返事は、無念だというものだった。
赤木は自分で終わりを決めていても、生きることへの思いがなくなったわけではない。

ここから赤木は、今の別れだけでなく、自分の人生を振り返って語り始める。
生きることは思いどおりにならず、不本意なことや、理不尽な仕打ちもある。
そのうえで、無念が願いを光らせるという。
悔しさの裏には、こうなってほしかったという願いがある。
赤木の言葉は、かなわなかったという結果から、その結果を悔しがるほど願っていた自分へ、目を向けている。

無念だと語り涙を浮かべる赤木しげる
『天 天和通りの快男児』福本伸行、第18巻。

願いを持つことと、現実を受け入れることを同時に語る

赤木は、何か願いを持つことが嫌いではなかったと続ける。
さらに、その願いを持ちながら、今ある現実とも合意する生き方が好きだったと振り返る。
ここで大切なのは、赤木が二つのことを「同時に」と語っている点だ。

赤木は、願いと現実が食い違うことを認めながら、願いを持つことも大事にしている。
赤木のいう「不本意と仲良くする」とは、その両方を抱えて生きることだ。
すべてがかなった人生だから好きだったのではなく、不本意を抱えながら何かを願う生き方を、赤木は好きだったと語っている。

赤木が好きだったと語るのは、願いと現実の間で生きることだ。
苦労の先で必ず願いがかなうとは、ここで赤木は約束していない。
赤木は無念を残したまま、そんな生き方を愛していたと語る。
願いがかなったかどうかだけで、赤木は自分の人生を評価していない。
願いを持って現実と向き合った時間も、赤木にとって好きだった人生に含まれる。

赤木の無念と、天の引き止める言葉は、赤木が最期の決断をした理由でも扱っている。
天に無念ではないかと問われ、赤木は無念だと答える。
その悔しさを認めたうえで、赤木は自分の生き方を好きだったと振り返る。
願いが残っていることと、歩んできた人生を肯定することが、涙を浮かべる赤木の中で両立しているのだ。

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