最期の赤木しげるは、涙を浮かべて無念だと語る。
その赤木が、無念は願いを光らせるともいう。
悔しさを認めながら、自分の生き方を肯定するのはなぜなのか。
赤木自身は、無念であることを「生の証」だと語る。
かなわなかった願いも含めて、自分の人生を受け止める言葉なのだ。
赤木の「無念」は、天の問いへの答えだった
天は、自分や妻たちと一緒に暮らし、家族になっていこうと赤木に申し出る。
赤木にまだ生きていてほしいという、天自身の願いだ。
赤木は天に感謝し、友がいたことに救われるが、最期の決断を変えない。

天はなお、赤木にはまだ分からないこと、味わっていない感情や世界があるはずだと訴える。
そして、無念ではないのかと赤木に問いかける。
赤木の返事は、無念だというものだった。
赤木は自分で終わりを決めていても、生きることへの思いがなくなったわけではない。
ここから赤木は、今の別れだけでなく、自分の人生を振り返って語り始める。
生きることは思いどおりにならず、不本意なことや、理不尽な仕打ちもある。
そのうえで、無念が願いを光らせるという。
悔しさの裏には、こうなってほしかったという願いがある。
赤木の言葉は、かなわなかったという結果から、その結果を悔しがるほど願っていた自分へ、目を向けている。

願いを持つことと、現実を受け入れることを同時に語る
赤木は、何か願いを持つことが嫌いではなかったと続ける。
さらに、その願いを持ちながら、今ある現実とも合意する生き方が好きだったと振り返る。
ここで大切なのは、赤木が二つのことを「同時に」と語っている点だ。
赤木は、願いと現実が食い違うことを認めながら、願いを持つことも大事にしている。
赤木のいう「不本意と仲良くする」とは、その両方を抱えて生きることだ。
すべてがかなった人生だから好きだったのではなく、不本意を抱えながら何かを願う生き方を、赤木は好きだったと語っている。
赤木が好きだったと語るのは、願いと現実の間で生きることだ。
苦労の先で必ず願いがかなうとは、ここで赤木は約束していない。
赤木は無念を残したまま、そんな生き方を愛していたと語る。
願いがかなったかどうかだけで、赤木は自分の人生を評価していない。
願いを持って現実と向き合った時間も、赤木にとって好きだった人生に含まれる。
赤木の無念と、天の引き止める言葉は、赤木が最期の決断をした理由でも扱っている。
天に無念ではないかと問われ、赤木は無念だと答える。
その悔しさを認めたうえで、赤木は自分の生き方を好きだったと振り返る。
願いが残っていることと、歩んできた人生を肯定することが、涙を浮かべる赤木の中で両立しているのだ。

コメント