『幽遊白書』仙水の七つの人格は、何を分けていたのか

歌番組について話す樹と、毎週見ていると答える少年時代の仙水 幽☆遊☆白書
引用:冨樫義博『幽☆遊☆白書』第16巻 act.139「魅きつける理由!!」(集英社)

仙水の中には、人を苦しめて喜ぶカズヤがいる。
樹の前で泣くナルもいる。
残酷さと傷つきやすさが、別々の名前を持って同じ体に住んでいる。

この人格の分かれ方には、人間と妖怪を善悪で分けようとした仙水の生き方が重なって見える。
世界の中に善悪が入り交じっていることに苦しんだ仙水は、自分の中の残酷さや弱さも、別人格に分けていたのではないか。

カズヤだけでなく、ナルがいる

樹によれば、仙水は終わりのない戦いの中で別人格を作った。
幽助との戦いで、理屈を並べていたミノルに代わり、カズヤが現れる。
カズヤは幽助を撃ち、その苦痛を喜ぶ。
樹の説明によれば、七人格にはそれぞれ役割があり、カズヤは殺しを担当している。

役割を持つのは、戦う人格だけではない。
樹の前だけに現れる女性人格のナルは、泣き虫役だという。
樹は彼女を慰めており、忍の次に好きだとも話す。

カズヤとナルを並べると、仙水が分けているのは戦闘の得意不得意だけではないことが分かる。
人の痛みを楽しむ残酷さがカズヤとして表れ、慰めを必要とする弱さはナルとして表れる。

世界にも、自分にも、白黒を求めた

仙水は最期に、かつては戦争さえ、良い国と悪い国の戦いだと考えていたと語る。
守る相手と倒す相手を分けるには、分かりやすい考え方だ。
しかし、その区別では、残酷な人間も、人間らしい情を持つ妖怪も理解できない。

樹との出会いでは、仙水は実際にその区別を揺さぶられている。
殺される寸前の樹が、テレビ番組を見たいから、あと一日生きたいと頼む。
仙水も同じ番組を見ていた。
倒すべき妖怪と自分に、意外な共通点があった。

テレビ番組を見たいと話す樹と、自分も見ていると答える仙水
引用:冨樫義博『幽☆遊☆白書』第16巻 act.139「魅きつける理由!!」(集英社)

仙水は樹を殺さず、そばに置くようになる。
このときは、妖怪にも自分と通じ合う相手がいることを認められた。

一方、人間の残虐さを知った後の仙水は、人間という種そのものを憎むようになる。
幽助との戦いでも、花や木、虫や動物は好きだが、人間だけは嫌いだと語っている。
誰が何をしたかによって一人ずつ判断する代わりに、今度は人間全体が拒絶の対象になっている。

花や木、虫や動物を好み、人間だけを嫌うと語る仙水
引用:冨樫義博『幽☆遊☆白書』第16巻 act.144「止められない!!」(集英社)

人間の残虐さを憎む仙水の中に、他人の苦痛を楽しむカズヤがいる。
仙水が憎んだ残酷さは、自分の外だけにあったのではない。
この食い違いを一人の自分として引き受ける難しさが、残酷さを別人格に担わせる姿に表れているのではないか。
善悪で世界を分けようとした仙水が、自分の中でも、残酷さをカズヤという別の人格の役割にしていると考えられる。

忍は、残酷さの外にいられたのか

では、残酷なことをカズヤに任せれば、忍だけは昔の純粋さを保てたのだろうか。
忍が幽助の前に現れた場面では、本人の振る舞いにも残酷さがある。

血の付いた顔で忍と名乗り、幽助に挨拶する仙水
引用:冨樫義博『幽☆遊☆白書』第16巻 act.142(集英社)

忍は丁寧に名乗り、握手を求める。
その後、殴りかかってきた幽助を倒すと、何度も踏みつける。
抵抗できなくなった幽助の手を取り、改めて挨拶するのである。
礼儀正しい口調と、相手を痛めつける行動が、同じ忍の中にある。

界境トンネルを開く計画にも、忍は賛成している。
コエンマが中止を求めたとき、カズヤは忍を含む全員で計画を決めたと説明している。
さらに、続けるかどうか相談した答えも、全員一致での続行だった。

コエンマに銃口を向け、計画を続けると答えるカズヤ
引用:冨樫義博『幽☆遊☆白書』第16巻 act.142(集英社)

仙水は、自分の残酷さにも気づいている。
ミノルは幽助に、戦いの中で心が腐っていくこと、しかもその腐った部分こそ本当の自分だと分かることを語っていた。
人格が分かれているからといって、仙水が自分の残酷さを知らずに済んだわけではない。

仙水は、残酷な人間への憎しみと、自分の中の残酷さを抱えたまま、戦い続けている。
別人格の分担は、善悪をはっきり分けたい仙水の苦しさを表していると考えられる。
けれど、その残酷さは、カズヤだけのものにはならなかった。
幽助を踏みつけた忍が、その手を取って挨拶する場面には、その分けきれなさが表れている。

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