美しい魔闘家鈴木と戸愚呂弟は、ずいぶん違う敵に見える。
片方は大げさな自己紹介の末に幻海に殴り倒され、もう片方は幻海の命を奪う。
けれど二人の言葉を並べると、どちらも老いた姿を受け入れず、美しさや強さを失う前の自分にこだわっている。
幻海は鈴木を「あたしの一番嫌いなタイプ」と評する。
この嫌悪を戸愚呂との対立までつなげて読むと、鈴木との試合は、幻海が何を許せないのかを先に見せた戦いにも見えてくる。
鈴木は、自分も老人として生きようとはしない
怨爺という老人に化けていた鈴木は、年寄りが最も嫌いだからこそ、その姿で闘争心を高めていたと説明する。
老いを醜いものと呼び、罪だとまで言う。
鈴木の話は、自分自身の将来にも及んでいる。
鈴木は、老いる前に美しいまま死に、その前に伝説を作るつもりだと語る。
年を取った自分として生き続けるつもりはない、という宣言である。
素顔を隠す理由も、後世の人々に美しく強い魔闘家の顔を想像させるためだった。
実際の自分が年を取ることより、美しい自分が語り継がれることを望んでいる。

鈴木は、その好みを他人の生死にまで広げる。
老いた者を皆殺しにするとまで宣言し、年を取った者には生きる価値がないという考えを周囲にも押しつける。
自分の美しさへの執着が、他人の人生を否定するところまで進んでいる。
戸愚呂が恐れたのも、全盛期の後を生きることだった
戸愚呂がかつて幻海に打ち明けたのは、自分より強い相手が現れるころ、肉体が衰えていることへの恐れだった。
強い相手との勝負を望むからこそ、そのとき十分に戦えないことを恐れている。
鈴木が美しい姿を残そうとするのに対し、戸愚呂は戦える肉体を残そうとする。
美貌と戦闘力という違いはあっても、今の自分を失う老いを避けたい点は重なる。
鈴木は老いる前に死ぬと言い、戸愚呂は老いない妖怪になる道を選んだ。
その拒絶は、老いて生きてきた幻海へも向けられる。

戸愚呂は、老いた幻海をこれ以上見ていたくないと語る。
さらに戦いの最中には、強く美しかった頃に殺しておけばよかったとまで言う。
これは、今の幻海より昔の幻海のほうが強かった、という実力の比較だけでは済まない。
弱くなった現在の彼女を、そのまま生かしておくことさえ拒む言葉だ。
鈴木は不特定の老人を否定し、戸愚呂はかつて共に戦った相手を否定する。
二人の距離感は違うが、年を取ることで失われるものばかりを見て、その後も続く生を認めようとしない点ではつながっている。
幻海が鈴木に向けた嫌悪には、戸愚呂と決別した理由と重なるものがある。
戸愚呂には、弟子たちを守れなかった自分を責め続けた過去もある。
妖怪になった事情まで、鈴木の美意識と同じものにまとめることはできない。
二人の共通点は、老いに対する言動に絞って考える必要がある。
同じ拒絶でも、鈴木は殴り返され、戸愚呂は押し通す
二人のつながりは、言葉だけではない。
鈴木は爆肉鋼体で筋肉を膨らませ、戸愚呂の技をまねできると誇る。
老人を見下した男が、戸愚呂に似せた肉体で幻海を倒そうとする。
この組み合わせは、後の戸愚呂と幻海の戦いを小さく先取りしている。

幻海は、鈴木の技が見せかけで軽いことを見抜き、霊気を使わずに殴り倒す。
鈴木が老人として侮った相手には、長い修行で鍛えた身体がある。
膨らませた筋肉も、派手な技も、それを上回れない。
美しさを誇った鈴木の顔が腫れ上がる結末は、老いた者を一方的に見下す彼の態度まで笑い飛ばす。

戸愚呂との戦いでは、その痛快さが通用しない。
すでに幽助へ力を渡していた幻海は、戸愚呂の圧倒的な力に押し切られる。
鈴木を倒したときのように、相手の思い上がりを勝って覆すことはできなかった。
幻海は若い頃、二人とも年を取ればそれでよい、と戸愚呂に答えていた。
最盛期のままでなくても、同じ時間を生きていける。
二人とも年を取っていくことを認める幻海と、全盛期の幻海を求め続ける戸愚呂。
この違いは、戸愚呂が勝ったからといって埋まらない。
鈴木と戸愚呂を続けて読む面白さは、笑える敵と恐ろしい敵の間に、幻海への似た拒絶が見つかることにある。
鈴木戦では、老いた者を侮る態度を、幻海が勝つことで笑い飛ばせた。
戸愚呂には、その相手を本当に殺せる力がある。
鈴木に向けた「一番嫌いなタイプ」という言葉は、戸愚呂との戦いまで読むと、幻海が長く対立してきた生き方への拒絶として響いてくる。


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