楳図かずおさんが『漂流教室』で描きたかったのは、過酷な環境で子どもたちが生きようとする姿でした。
その発想には、子どもだけの社会を描きたいという思いと、未来を楽観できないという感覚が重なっています。
楳図さんは、連載前に結末まで詳しい筋書きを作ったことも明かしています。
なぜ学校ごと未来へ飛ばす物語になったのか、本人の回想からたどります。

『十五少年漂流記』から、学校ごとの物語へ
2009年のインタビューで、楳図さんは『漂流教室』の核に、ジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』があったと話しています。
困難な状況に子どもが本気で向き合い、できないことにも挑む姿を描きたかったといいます。
回想録『わたしは楳図かずお―マンガから芸術へ』の公開抜粋では、学校ごと移動させた理由も説明しています。
未来の人類を担う子どもたちを描くには、十五人では少ないと考えたのです。
人数を増やしたのは、物語の規模を大きくするとともに、子どもたちに未来を託すためでもありました。

未来を明るいものと決められなかった
楳図さんは同じ回想録で、当時の公害や環境汚染への不安にも触れています。
文明が進めば、未来も自然に良くなる。
その見方に疑問を持ち、危険な未来を想像していたのです。
後の2011年のインタビューでは、『漂流教室』や『14歳』を振り返り、その時の世界を先取りするような作品だったと本人が話しています。
これは東日本大震災後に、自分の過去の作品をどう受け止めたかを語った発言です。
文明の発展と危機について、震災後の社会と重ねて考えていました。

結末まで筋書きを作ってから描いた
回想録の制作についての部分によると、楳図さんは各回の筋書きを細かく考え、結末も決めていました。
ほかの作品では三行ほどのメモで済ませることもあり、この作品ほど詳しく準備したものはなかったと振り返っています。

準備の理由については、新しいことを試したかったのだと思う、と本人も振り返る形で語っています。
詳しい筋書きを用意した一方、クラス全員の顔までは決めておらず、そこは準備しておけばよかったとも話しています。

連載を支えた白井勝也さんとの仕事については、楳図さんと白井さん、それぞれの回想も紹介しています。
まとめ
楳図さんが構想したのは、未来への不安と、そこを生きる子どもたちへの期待が一緒にある物語でした。
荒れ果てた世界は、子どもたちが何をするかを描く舞台でもあったのです。

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