赤木との対話を終えた原田は、靴を履かず、靴下のまま庭に下りる。
原田は誰かに止められているわけでもないのに、この程度のことさえ晴れ晴れとはできないと話す。
その背中を見たひろゆきは、原田を自分に似ていると感じる。
関西有数の組長と、麻雀を離れて会社勤めをするひろゆき。
二人を近づけたのは、どれだけ成功しているかではなく、人の目や常識から離れて動くことの難しさだった。
庭には出られるのに、気持ちは自由にならない
原田は、靴下が汚れることや、そのまま上がれば廊下を汚すことを、靴を履く理由として挙げる。
それなら、庭の土を払えば済む。
原田自身がそう言い、靴下の汚れを払っている。
それでも原田は、気分が動くままに庭を歩くことができないと感じる。
庭へ下りる行動はすでにしているが、普段の自分ならしないことを、今は無理に試しているのだ。
原田が言う「不自由」は、庭へ入れないという意味ではない。
誰も禁じていないことにも、自分の中の「普段ならしない」が先に立ち、気兼ねなく振る舞えないということだ。
赤木との対話で、原田は成功を守ることに縛られていると指摘されていた。
庭でも原田は、汚れを払えばいいと分かりながら、自然に歩けない。
原田が赤木なら何も気にせず庭へ下りるだろうと考えると、赤木と自分の違いが、こんな小さな行動にまで表れている。

ひろゆきは、恐れていた原田に自分を見つける
ひろゆきにとって原田は、本来なら自分から気軽に話しかけられるような人物ではない。
しかし、このときの原田の背中は、ひろゆきには弱々しく見える。
原田が持つ地位や力よりも、不自由さを語る姿が目に入るからだ。
ひろゆきは、一流の雀士には届かないと思い、麻雀から離れていた。
赤木には、成功や失敗、人の目にとらわれて止まらず、やりたいことの熱を保てばいいと語られている。
ひろゆきがその言葉を原田に伝えると、原田は、言葉通りに生きられるかどうかが問題なのだと返す。
理屈を理解することと、その通りに動けることには、まだ距離がある。

原田は、築いてきた地位や権力を窮屈に感じても、それらを自分の誇りとして失いたくない。
ひろゆきは、麻雀で成功できない自分が、人から軽く見られることを恐れていた。
成功を手にした原田と、成功できないと考えたひろゆきは、違うところで足が止まっている。
けれど、二人とも、自分がどう生きたいかだけでは踏み出せない。
ひろゆきの「似てる」は、二人の経歴や性格を同じとする言葉ではなく、その動きにくさを見つけた言葉なのだ。
原田は、この会話だけで地位を捨てたり、赤木のような自由を得たりはしない。
それでもひろゆきは、遠い存在だった原田が、自分と同じように生き方を思い悩む人間だと知る。
庭の会話では、赤木から言葉を受け取った二人が、自分たちの悩みを話している。
原田を近寄りがたい存在として見ていたひろゆきが、その弱々しい背中に自分を見つけるところに、この場面の変化がある。


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