真島ヒロさんが『週刊少年マガジン』に持ち込んだ決め手は、当時の誌面の勢いと、新人漫画賞のページ数が自由だったことです。
漫画を描くために上京して2年目、19歳の頃でした。
その持込みで真島さんは、初めて自分の漫画の欠点を具体的に指摘されます。
指摘を受けて作った次の漫画が、後のデビューへつながりました。

ジャンプかマガジンか、応募先を迷っていた
小学生の頃から漫画家になりたかった真島さんは、高校卒業後に上京し、専門学校に入りました。
漫画家になるには専門学校を出る必要があると、当時は思っていたそうです。
持込み先は少年誌にすると決めていましたが、ジャンプかマガジンかは迷っていました。
最終的に選んだ理由を、2018年の本人インタビューで、マガジンの勢いと新人賞のページ数の自由さだったと説明しています。
実際に持ち込んだのはマガジン編集部だけでした。
自信があった漫画に、初めて具体的な指摘を受けた
持込み前の真島さんは、自分の漫画に欠点はないと思うほど自信を持っていました。
友人に見せても、面白い、絵が上手いと褒められることが多かったそうです。
編集者からは、線の引き方、人物の描き方、構成など、いくつもの指摘がありました。
初めて、どこが面白くないかを理由付きで伝えてくれる人に出会ったと、真島さんは振り返っています。
本人は指摘が正しいと認めながらも、悔しくて、すぐ次の漫画を持ち込みました。
2日で作った新しいネームが『MAGICIAN』だった
2017年の本人インタビューでは、その描き直しの経緯が具体的に語られています。
最初の持込みは、ファンタジー世界の賞金稼ぎの漫画でした。
担当編集者の松木さんは口調が柔らかくても、欠点を鋭く指摘したといいます。
真島さんは2日で新しいネームを作り、打ち合わせをしたいと電話を入れました。
そのネームが『MAGICIAN』です。
最初の持込み原稿とは別の、新しい作品でした。

『MAGICIAN』は1998年の第60回新人漫画賞で入選し、真島さんは同年にデビューします。
翌1999年には、『RAVE』の連載が始まりました。
その初連載での構想と調整は、『RAVE』の結末はどこまで決まっていたのかでも紹介しています。

まとめ
誌面の勢いや応募条件は、原稿を持っていく先を決める理由でした。
その編集部で真島さんが出会ったのは、漫画の欠点を具体的に伝えてくれる編集者です。
褒められていた漫画の弱点を知り、悔しさを次の一本に向ける。
本人の回想をたどると、持込みは、自信のあった描き方を見直し、新しい作品を作る転機になっていたことが分かります。
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