『るろうに剣心』の大ヒットを和月伸宏はどう受け止めた? 看板の重圧と、後に残った支え

2016年の長岡市取材でイラスト資料にサインする和月伸宏 和月伸宏
和月伸宏。2016年、長岡市公式Webメディア「な!ナガオカ」の取材時。

『るろうに剣心』のヒットは、和月伸宏さんにとって喜びだけの出来事ではありませんでした。
連載中は雑誌の「看板」と見られることに苦しさを感じ、完結後は代表作を持つことで次の作品への期待にも向き合いました。
一方で、編集部から届いた言葉や、年月を経ても作品を楽しむ読者の姿は、漫画家としての支えにもなっています。
2016年に和月さんが語ったのは、大ヒットの意味が時間とともに変わっていく経験でした。

連載中は、ヒットを味わう余裕がなかった

和月さんは2016年の本人取材で、『るろうに剣心』の連載中、目の前の漫画を精いっぱい描くだけだったと振り返っています。
『週刊少年ジャンプ』が以前の首位を譲った時期に、作品は雑誌の看板として見られるようになりました。
その立場を軽く扱う声も耳に入り、和月さんにはつらかったといいます。

和月伸宏『るろうに剣心』旧本編第1巻の表紙
集英社が掲載した『るろうに剣心』第1巻の書影。

本人は後年、自分の作品が雑誌全体を背負ったと言い切るのも違うと話しています。
当時は「ジャンプを救おう」と考えていたというより、毎週の連載に夢中だったのです。
ヒット作の作者という外からの見え方と、原稿を描いていた本人の実感には差がありました。

編集部の一言で、連載していた意味を感じた

同じ取材で和月さんは、編集部の人から、あの時期に『るろうに剣心』があったことが雑誌の力になった、と伝えられた話をしています。
その言葉を聞いて、自分が連載していたことにも意味があったのかもしれないと感じ、漫画家を続けていてよかったと思ったそうです。

これは、和月さん自身が雑誌の売上への貢献を計算して示した話ではありません。
看板という評価が重荷になっていた人に、同じ編集部から届いた感謝が、仕事を続けた手応えになった出来事です。

大ヒットした作品が、自分の憧れる「王道」とは限らなかった

和月さんは、『るろうに剣心』を自分が思い描く王道の少年漫画とは少し違う作品だと語っています。
本人は『幽☆遊☆白書』や『ジョジョの奇妙な冒険』のような作品を好み、自分は少年漫画の「陰」の側にいると説明しました。
ところが『るろ剣』が雑誌の表看板になった。
和月さんは、そこで期待された明るい少年漫画の方向へ、懸命に作品を運んでいた面もあったかもしれないと振り返ります。

旧本編の完結後、和月さんが描いた『GUN BLAZE WEST』では、西部に憧れる少年を主人公にしました。
本人は、自分の考える少年漫画へ挑みたかったと説明しています。
『るろ剣』の人気が、そのまま作者の理想形を完成させたという感覚ではなかったのです。
この次作を本人が後にどう評価したかは、『GUN BLAZE WEST』の記事で扱っています。

和月伸宏『GUN BLAZE WEST』第2巻の表紙
集英社『GUN BLAZE WEST』第2巻の書影。

代表作は仕事を守る「城壁」であり、越えにくい壁でもあった

和月さんは完結後の『るろうに剣心』を、自分が漫画家として続けていくことを守る「城壁」にたとえました。
大きな代表作があるから、漫画を描く自分を支えてくれる。
その半面、次に『剣心』以上の作品を描けるかという期待が、周囲からずっと向けられていたといいます。

和月さんは、再び時代劇を描くなら「また剣心を」と言われるだろうとも考えていました。
ヒット作の続きを望む声と、新しい漫画を描きたい気持ちの間には、簡単に片づかない距離がありました。

2016年の宝塚歌劇雪組公演『るろうに剣心』の公式ポスター
宝塚歌劇雪組公演『るろうに剣心』の公式ポスター。

後年、実写映画を通じて、昔からの読者に加え、子どもや年配の人たちも作品を楽しむ様子を和月さんは見ました。
宝塚の舞台も楽しまれました。
それが「剣心を越えなければならない」という思いを和らげ、作品を再び見つめるきっかけになったと話しています。
続編を描く理由そのものは、北海道編についての記事で詳しく紹介しています。

まとめ

和月さんは『るろうに剣心』の大ヒットを、連載中には看板の重さとして、完結後には次作への期待を生む「城壁」として経験しました。
一方で、編集部の感謝や、映画・舞台を通じて広がった読者の反応も受け取っています。
代表作は一度売れた時点で意味が決まるものではありません。
和月さん自身が代表作とどう向き合うかも、読者の受け止め方とともに変わっていったのです。

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