1991年に始まった『アウターゾーン』は、主人公や舞台を替えながら、毎週新しい物語を届ける一話完結の連載でした。
『DRAGON BALL』や『SLAM DUNK』が並ぶ当時の『週刊少年ジャンプ』で、光原伸さんはこの形式を続けています。
後年、光原さんが強い誇りとして振り返ったのも、あの誌面で異色の読切連載を長く続けられたことでした。
毎週違う世界へ案内する、一話完結のホラー
新連載が始まったのは、『週刊少年ジャンプ』1991年14号です。
ミザリィを案内役に、不思議な世界へ入り込む人々を描く『アウターゾーン』は、話ごとに舞台も登場人物も替わります。

バトル、ギャグ、スポーツなど幅広い作品が並ぶ中で、光原さんが持ち込んだのは、ホラーやSFを毎週違う物語で読ませる形式でした。
ミザリィが登場しない回もあり、同じ主人公の活躍をそのまま追い続ける連載とは、物語を届ける形が違います。
光原さん自身も、2026年の集英社のインタビューで、ジャンプで人気が出る種類の漫画だとは思っていなかったと振り返っています。
本人の回想では、担当の茨木さんも、人気の理由を不思議がっていたそうです。
予定の10回から、長い連載になった
光原さんは、もともと10回で終わるつもりで、この連載を始めました。
ところが人気を受けて継続が決まり、第10話で第一部を区切った後、半年ほどを置いて第二部へ進みます。
連載が続くことは、毎週新しい設定や人物を考え、一本の物語を仕上げる仕事が続くことでもありました。
光原さんは、人気が落ちるのは悔しいから描こう、という思いも語っています。
自分で選んだ一話完結を、週刊のペースで続けていったのです。
人気の理由として本人が考えたのは、ハッピーエンドへのこだわりでした。
望む結末から逆算して物語を組む作り方には、怖い話を届ける一方で、後味を大切にした光原さんの好みが表れています。
漫画家としての自信とは別に、譲れなかった誇り
2012年に出た『アウターゾーン リ:ビジテッド』第1巻のあとがきで、光原さんは、漫画家としての自信はほとんどないとしながらも、当時の連載については譲れない思いを書いています。
あの時代のジャンプで異色の読切連載をし、あれほど長く続けられたのは自分一人だった、という自負です。

本人は、苦痛と引き換えに充実感と達成感を得た3年間だったとも振り返っています。
毎週約20ページを使い、自分の好きなように物語を描けたことは、辛さや不満も含めて、後からはよい思い出になっていました。
連載後も、ホラー作品の傑作選として刊行された
『アウターゾーン』は、連載終了後も再編集して刊行されています。
集英社は2011年、ホラーや恐怖を扱う7作品を刊行する企画「とっても怖いジャンプセレクト7夏」を発表しました。
その第1弾として刊行されたのが、『アウターゾーン ミザリィ・セレクション』です。

当時の集英社の発表では、厳選したエピソードで構成する傑作選として案内されています。
発表された顔ぶれには、『新・Y氏の隣人』や『妖怪ハンター』なども含まれています。
まとめ
光原さんは、連載を苦痛のあった3年間としても、好きなように描けた充実した時間としても振り返っています。
ジャンプの誌面で自分の物語を描き続けられた経験が、後年の本人にとって、その両方を含めた誇りになっていたのです。


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