エンマ大王の不正が明らかになり、人間界と魔界を隔てる結界は解かれた。
その後に現れた正聖神党は、妖怪の排除と結界の再設置を要求する。
結界をなくす改革に、排除を求める暴力が続いた。
ただ、この二つの事件では、妖怪を敵とする理由が違う。
大王の不正には、妖怪の脅威を利用して霊界の利益を守る仕組みがある。
正聖神党には、妖怪を排除すること自体が神の使命だという信仰がある。
この違いから見ると、大王を失脚させても終わらない問題が見えてくる。
妖怪を悪者にすれば、霊界が必要になる
大王の不正について、蔵馬は妖怪に関する報告書や資料の偽造を説明する。
人間界で妖怪が起こしたとされる悪事が、水増しされていた。
捕らえた妖怪を洗脳して犯罪を起こさせた疑いまである。
ここで蔵馬が続けるのは、霊界にどんな得があるかという話だ。
魔界を悪役にしておけば、人間界を守るという名分で結界を張り、領土を維持できる。
人間がまだ利用していないエネルギーの中にも、霊界にとって重要なものがあるという。
霊界は、危険な妖怪がいるから人間界に関与しているように見える。
ところが不正の側からたどると、人間界への関与を続けるために、妖怪を危険だと思わせる必要があった。
守護者としての信用が、霊界自身の利益を守るために使われている。

だから幽助の疑いは、大王一人の悪事では済まない。
星空を見上げた幽助は、自分が捕まえた妖怪にも、洗脳された者がいたのかと尋ねる。
それは、過去の敵が全員無実だったという話ではない。
任務を命じる霊界の説明を信じて動けば、不正に加担することもありえた、という疑いだ。
コエンマの告発は、人間界を守る側だという霊界の肩書そのものを問い直している。
不正を暴いても、「悪魔の使い」という見方は残る
正聖神党の事件では、妖怪への敵意を支える別の理由が現れる。
舜潤の説明によれば、彼らは自分たちを神の使い、魔界の住民を悪魔の使いと信じ、人間界の浄化を使命としている。
妖怪が何をしたかを調べる前から、どちらが正しいか決めてしまっているのだ。
大王の不正なら、報告書が偽造だったと示すことで、犯罪の多さを理由にした主張を崩せる。
しかし教団にとって妖怪は、犯罪件数が多いからだけで敵なのではない。
たとえ悪事の水増しがなくなっても、悪魔の使いだという見方が残れば、排除する理由は失われない。
ここに、告発と制度の改革だけでは片づかない対立がある。
その信仰がどこへ向かうかは、異次元砲を見るとはっきりする。
教団は妖怪を人間界から追い出せと要求しながら、その人間界へ異次元砲を向ける。
舜潤は、かつて霊界でこうした考え方が主流だった頃にも、異次元砲や天変地異によって、人間の退廃を天罰として粛清していたと説明している。
教団が目指す浄化には、人間を罰することも含まれる。
人間界を自分たちの望む状態にするためなら、そこに暮らす人間まで攻撃の対象になる。
妖怪の排除と人間への砲撃は、彼らの基準に世界を従わせるという点でつながっている。
もちろん、教団がかつての権力を取り戻そうとしていた面も考えられる。
利益と信仰をきれいに二分する必要はない。
それでも、彼らが掲げる使命まで大王個人の不正にまとめてしまうと、なぜ排除の要求が残ったのかを説明しきれない。
この二つの事件が問い直すのは、霊界に誰が君臨するかだけではない。
霊界の都合や信仰を、人間や妖怪が従うべき決まりにしてよいのか、ということだ。
コエンマが父を告発し、舜潤が事件の解決を求めたように、霊界の住人が皆、同じ側にいるわけでもない。
大王の不正を正すことと、霊界の住人が妖怪との共存を受け入れることは、同じではない。
正聖神党の事件を重ねることで、大王の失脚だけでは届かなかった問題が浮かび上がる。


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