絵に近づけば、細部は見やすくなる。
鑑識眼を競う勝負なら、それは有利な条件のはずだ。
ところが、森田が中条に売る「距離」は、本物を選ぶための助けであると同時に、中条を追い詰める材料にもなる。
一センチにつき百万円。
中条が前へ進むたびに、絵までの距離は縮まり、払い込んだ金額は増えていく。
「金の橋」が巧妙なのは、見分けるために払った金が、見分けるときの重圧に変わるところだ。
一センチ百万円で近づく仕組み

森田が用意したのは、本物のセザンヌ、精巧な贋作、青木が描いた出来の悪い模倣画の三枚だ。
中条は五メートル離れた場所から、本物を一枚選ぶ。
部屋は暗く、一枚には布がかかっているため、三枚を見比べて確かめることもできない。
当てれば、時価六億円の絵を五千万円で買える。
絵を扱う中条にとって、鑑識眼を金に換えられる勝負である。
そこへ森田は、絵を選ぶ代金とは別に、距離を買う条件を加える。

一センチが百万円なら、一メートルは一億円。
中条は絵の代金五千万円に加え、距離などを買う資金として三億五千万円を用意している。
六億円の絵を得られるなら、追加の金を払っても利益は残る。
だから、この高額な条件でも、中条には挑む理由がある。
ただし、金を払うたびに本物が保証されるわけではない。
中条が買うのは、絵をよく見るための位置である。
本物を選ぶ最後の判断は、中条自身に残される。
前へ進むほど、外せない勝負になる
距離を買うことには、実際に意味がある。
中条は一メートル五十センチ近づいた段階で、目の前の一枚を本物だと見抜いている。
森田は中条に、見ても分からない絵だけを突きつけているわけではない。
それでも中条は、その判断を信じきれない。
布に隠れた絵や森田の仕掛けを疑い、中条はさらに確かな手がかりを求める。
中条には鑑識眼があるのに、絵を見て得た答えを選べなくなる。
ここで、それまで払った金が重くなる。
初めは、六億円の絵を安く手に入れたいという勝負だった。
金を払い続けた中条には、すでに使った金を無駄にしたくないという切実さも加わる。
間違えれば、これまでの支出を絵の価値で取り戻すこともできない。
もっとよく見たいから金を払う。
多く払ったから、いよいよ間違えられない。
中条は本物を確かめるために前へ進むのに、支出が増えるほど正解への執着も強くなる。
絵がよく見えることと、迷わず選べることは、この勝負では別だった。

中条は最後に、布で隠された絵を選んでしまう。
そこにあったのは、青木の模倣画だった。
中条は、自分に見分ける力があるからこそ、金を払って本物へ近づこうとした。
森田はその支払いを、失敗できない重圧へと変えた。
「金の橋」で中条が買えたのは、絵を見やすい位置まで進むことだった。
見抜いた答えを信じて選べる安心まで、金で買うことはできなかった。

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