岩明均のSFはなぜ先が気になる?『寄生獣』と『七夕の国』の謎の見せ方

『寄生獣』アフタヌーンKC版第1巻の表紙 岩明均
『寄生獣』アフタヌーンKC版第1巻/岩明均、講談社。

『寄生獣』と『七夕の国』には、異変を先に見せ、その理由を主人公自身の生活へ結び付けていく面白さがあります。
新一の右手に入り込んだ生物と、ナン丸が使える小さな超能力。
二作品とも、主人公のすぐそばにあるものが、大きな謎を知る入口になります。

二作品では、人の体に侵入する生物や、体が丸く欠ける異変が、はっきり描かれます。
生物が動く様子や体の変化は見えるのに、生物の正体や、体を削る力の背景はまだ分からない。
二作品は、こうした場面から読者を引き込んでいきます。

主人公が知らない異変を、読者には先に見せる

七夕の国の第1話で武士の体の一部が失われていく二つのコマ
『七夕の国』第1話/岩明均、小学館。 出典

『七夕の国』の第1話は、昔の城をめぐる話から始まります。
その中で、武士の体が丸く削り取られる場面まで描かれます。
読者は先に大きな異変を見てから、ナン丸の物語へ進むことになります。

『寄生獣』でも、新一の日常だけを追う前に、地球と、人間が減れば他の生物はどうなるかという語りが置かれます。
続いて、球状のものから出てきた生物が家に入り、人の耳から侵入する様子が描かれます。
新一が自分の腕の異常に戸惑う頃には、読者はすでに、同じような生物がほかにもいることを知っています。

読者と主人公では、知っていることが違います。
読者には、先に見た出来事が、まだ事情を知らない主人公にどう関わるのかという興味も生まれます。

新一は右手から、ナン丸は自分のルーツから謎に近づく

『寄生獣』の新一は、侵入してきた生物が腕を上るのを止めようと、腕を締め付けます。
その生物は右手にとどまり、ミギーとして新一と共に暮らすことになります。
自分の右手にいる相手との関係が、人間と寄生生物を考える入口になっています。

『七夕の国』のナン丸には、もともと物に小さな穴を開ける能力があります。
そこへ、自分と同じルーツを持つらしい丸神教授の失踪が関わってきます。
ナン丸は教授の研究生たちと丸神の里へ向かい、自分の力と土地のつながりを知っていきます。

同じ「不思議な力を持つ主人公」でも、新一には体内の相手がいて、ナン丸には自分の知らない土地の歴史があります。
二作品が共通しているのは、謎を知ることが、主人公自身を知ることにもなる点です。

能力の説明が、暮らし方の話にもなる

自分の能力を生かす生き方についてナン丸と幸子が話す場面
『七夕の国』第2巻。能力を生かす生き方を話すナン丸と幸子/岩明均、小学館。 出典

ナン丸と東丸幸子の会話には、その広がりがよく表れています。
ナン丸が自分にしかない能力を生かす暮らしに憧れる一方、幸子は、町に残って神官を目指すならその道もあると答えます。
ナン丸は町から出られなくなる生き方には乗り気になれません。
能力をどう生かすかという話が、どこで、どう暮らすかを選ぶ話にもなっています。

窓をひらいた者について尋ねるナン丸に幸子が自分もその一人だと答える場面
『七夕の国』第2巻。「窓をひらいた者」について話す幸子/岩明均、小学館。 出典

さらに、ナン丸が「窓をひらいた者」について尋ねると、幸子は自分もその一人だと明かします。
幸子にとっては、うまく説明できず、怖い夢を見るとしか言いようがない経験です。
穴を開ける力を持つナン丸と、「窓をひらいた者」である幸子では、力と関わる経験が違います。
仕組みを知りたいという問いが、その力と共に生きる人の話につながっています。

『チ。―地球の運動について―』の作者・魚豊さんは、2024年のインタビューで、岩明作品の物語の面白さと知的な問いが結び付いている点を語っています。
魚豊さんは『寄生獣』を人類のあり方を問う作品として振り返り、『七夕の国』は土地と記憶に関わる物語として読んでいました。
新一はミギーと共に生き、ナン丸は自分の能力や土地と向き合います。
謎に関わる人の暮らしと、人間や土地をどう見るかという問いが重なるところに、岩明作品の広がりがあります。

まとめ

新一にとってのミギーも、ナン丸にとっての丸神の里も、他人事として調べて終えられる謎ではありません。
新一は自分の右手に寄生した相手と暮らし、ナン丸は自分が持つ力に関わる土地へ入っていきます。
読者には、謎の答えを知りたい気持ちと、主人公がその力とどう付き合うのかを知りたい気持ちが重なります。
異変を追う楽しさが、人間や暮らし方への興味にもつながるところに、二作品を続けて読む面白さがあります。

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