『おひっこし』は、沙村広明さんが「竹易てあし」という別名義で発表した、大学生たちの恋愛コメディです。
剣戟漫画『無限の住人』の連載中に描かれ、2002年に二つの短編とともに一冊へまとまりました。
好きな人への気持ちと、友人同士の気楽な会話が入り交じる作品です。
『無限の住人』で沙村さんを知った人には、同じ作者が大学生のどんな日常を描いていたのかも気になるところでしょう。

「竹易てあし」は沙村広明の別名義
単行本の題名は『竹易てあし漫画全集 おひっこし』です。
表紙には沙村広明の名前が入り、講談社の書誌情報でも著者は沙村広明と記載されています。
表題作は、2000年から2001年に『アフタヌーン・シーズン増刊』へ掲載されました。
『無限の住人』は1993年から2012年まで続いた作品なので、沙村さんは、その連載中に大学生のコメディも描いていたことになります。
本には、表題作のほかに『少女漫画家無宿涙のランチョン日記』『みどろヶ池に修羅を見た』も収録されています。
表題作だけを収めた本ではなく、二つの短編も一緒に読める作品集です。
恋のすれ違いと、遠慮のない会話
表題作では、遠野が先輩の赤木に思いを寄せる一方、遠野を好きな小春川は、彼の友人・木戸からの告白を受け入れます。
好きな相手と、付き合う相手がすんなり重ならないところから、大学生たちの恋愛が描かれます。
恋愛の話の合間には、趣味や生活についての遠慮のないやり取りもあります。
音楽や服、外食の好みを並べる人物には、スポンサー募集中という文字まで添えられます。
すぐにその冗談を打ち消すと、相手から、どっちを向いて話しているのかと突っ込まれます。

本の紹介文に載った藤沢とおるさんの推薦文も、不器用でもまっすぐだった若い頃へ戻りたくなった、という内容です。
恋愛だけをきれいに取り出すのではなく、知ったかぶりや傷つきやすさもある若者たちを、笑いとともに描いた一冊です。
『無限の住人』の作者が、会話劇も描く
2020年の本人インタビューでは、『無限の住人』のようなハードな作品と、『おひっこし』のような会話劇の両方について質問されています。
沙村さんは、耽美なものも会話劇も、どちらも描きたいと答えました。

この発言からは、激しい作品とコメディのどちらかだけを、自分の作風に決めていたわけではないことが分かります。
後の『波よ聞いてくれ』では、会話のテンポやギャグの使い方を工夫し、よく喋る主人公を描いていきました。
その前に描かれた『おひっこし』でも、言葉のやり取りで読ませる沙村さんの漫画に触れられます。
まとめ
『無限の住人』の激しい戦いを描いていた時期に、沙村さんは、恋も日々の付き合いも思うようには進まない大学生たちを描いていました。
『おひっこし』を読むと、剣を交える人物の迫力に加えて、口の減らない若者たちの会話も楽しめる作者だったと分かります。
沙村さんの時代劇を読んだ後に、違う作風の作品へ進む入り口にもなります。


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