『無限の住人』は病院の漫画から生まれた?沙村広明の持ち込みと時代劇への転換

無限の住人アフタヌーンKC第1巻の表紙に描かれた万次 沙村広明
『無限の住人』アフタヌーンKC版第1巻/沙村広明、講談社。

『無限の住人』は、デビュー前の沙村広明さんが病院を舞台にした漫画を持ち込んだ際、編集者から時代劇を勧められたことから生まれました。
舞台を変え、生死を扱うテーマを描いてみようとした作品です。

沙村さんは、1993年に『無限の住人』で四季大賞を受賞し、同作でデビューした漫画家です。
時代劇の長期連載を経て、会話劇やコメディも描いてきた仕事の始まりを、本人の回想からたどります。

2020年のインタビューで話す沙村広明
沙村広明/2020年『波よ聞いてくれ』インタビュー、撮影:笹井タカマサ。 出典

病院の原稿と、絵の参考に持参した別の漫画

2017年のインタビューによると、病院を舞台に生死を扱う原稿に、編集者はありきたりだと反応しました。

沙村さんは、学生時代に描いた漫画も、絵の参考として持ってきていました。
こういう絵で描くと伝えたところ、編集者から、時代劇で描いてみないかと提案されます。
沙村さんは、それまで生死を扱っていた流れから、似たテーマで描いてみようと応じました。

不死身の万次で、思いどおりにならない命を描く

沙村広明の原作画で刀を持って座る万次
万次の原作画/『無限の住人』、©沙村広明/講談社。 出典

沙村さんは、万次を、自分の意志では命の決着をつけられないことを表す人物として説明しています。
生死を扱うテーマが、不死身の侍という形になったのです。

沙村さんは当初、この漫画を長く描くつもりではなかったそうです。
もっと入り組んだ重い話になると分かっていたら、不死身に制限を付けただろうとも振り返っています。
これは、長期連載を経験した後の沙村さんの回想です。

大友克洋の影響から離れるために、筆ペンと鉛筆を選んだ

無限の住人アフタヌーンKC第1巻の表紙に描かれた万次
『無限の住人』アフタヌーンKC版第1巻/沙村広明、講談社。 出典

『無限の住人』の誕生には、題材だけでなく、絵の描き方を変える選択もありました。
沙村さんは高校時代に『AKIRA』を読み、大友克洋さんの絵から強い影響を受けています。
同人誌時代の作品も、大友さんの絵に似ていたと本人は話します。

2017年の藤本タツキさんとの対談では、その癖を抜くため、投稿作の『無限の住人』を、あえて筆ペンや鉛筆で描いたと説明しています。
『AKIRA』で使われていなかった画風を選んだのです。
投稿作では、題材の変更と並んで、沙村さん自身の画風を変える工夫も行われていたのです。

一つの投稿作が、長期連載になって変わったこと

沙村さんは、同じ対談の中で、大学在籍中から第1話を描き、卒業後も制作を続けたと回想しています。
その投稿作が夏に掲載され、年末には連載となりました。
『無限の住人』は、1993年から2012年末まで続きました。

話の形も、連載する中で変わっていきました。
当初、沙村さんは、万次がパートナーを変えながら進む物語を考えていたそうです。
巻を重ねるうちに、その形は難しいと考え、凜の復讐が終われば連載も終える方針になりました。
単行本が十冊以上出た頃には最終話のイメージができ、細かな演出はさらに後から決めています。

凜との旅を描き続ける中で、連載をどこで終えるかも選んでいったのです。

まとめ

編集者が時代劇を勧め、沙村さんは、描こうとしていた生死の問題を万次の物語へ持ち込みました。
舞台を変える提案は、描きたいことを別の人物で表すきっかけにもなったと捉えられます。
この経緯を知ると、万次を、自分の意志では命の決着をつけられない人物として語った作者の言葉も具体的に伝わってきます。

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