藤田和日郎さんのデビュー作は、1988年に『少年サンデー増刊号』へ掲載された短編『連絡船奇譚』です。
初連載の『うしおととら』は、1990年に始まりました。
『うしおととら』の前には、ネーム(コマ割りや台詞を考える下描き)を編集者に何度も見せ、直しても採用されなかった作品があります。
その作品にいた小さな妖怪が、後に「とら」を考えるきっかけになりました。
デビュー作『連絡船奇譚』は『夜の歌』に収録
講談社の著者紹介が、デビュー作と掲載誌を明記しています。
『連絡船奇譚』は、新人コミック大賞に入賞した作品でもあります。
藤田さんの最初の連載を知るには『うしおととら』、デビュー短編を読むなら『連絡船奇譚』と、入口が分かれます。

デビュー作は、『藤田和日郎短編集 夜の歌』で読めます。
同書には『からくりの君』『掌の歌』『メリーゴーランドへ!』『夜に散歩しないかね』も収録されています。
『うしおととら』だけで藤田さんを知った読者も、連載とは別の短編へ進めます。
高橋留美子の短編から、自分でも描きたくなった
藤田さんは2019年の本人インタビューで、高校生の時に読んだ高橋留美子さんの『闇をかけるまなざし』を、漫画を目指したきっかけとして挙げています。
藤田さんは怪異譚が好きでしたが、人間が怪異に負ける結末には不満がありました。
怪異と戦って勝つ話を読み、自分も描いてみたくなったと話しています。

大学では、小説関連のサークルで挿絵を頼まれていました。
藤田さんは、人物が何を話すかも伝えたいと考え、それが漫画につながったと振り返っています。
好きな話を読むことと、自分が人に伝える形を考えることが、漫画を描く入口にありました。
採用されなかった『神剣破壊』から「とら」へ
同じ取材の後編では、『うしおととら』より前のネームについて話しています。
編集者から指摘されたのは、格好よい主人公が危機もなく勝つ話では、読者が応援したくならないという点でした。
藤田さんは指摘の理由を理解できず、同じネームを十二、十三回ほど直したと振り返っています。
その作品が『神剣破壊』です。
新しい話を作るよう編集者から提案され、藤田さんは『神剣破壊』にいた、花を愛する小さな妖怪を使えないかと考えます。
藤田さんは、大きな妖怪に変えて描きたいと考えました。
そこから「とら」が生まれました。
『うしおととら』第1話のネームは一度で採用され、藤田さんはペン入れに進みました。
初連載『うしおととら』は1990年に始まった
小学館の名作ミュージアムによると、連載期間は『少年サンデー』1990年6号から1996年45号までです。
少年うしおと妖怪とらのコンビが、藤田さんの最初の長編を担います。
藤田さんは、同ページの自作解説で、連載当初には冷蔵庫もちゃぶ台もなかった頃を振り返っています。
最終回の頃には、最高のクライマックスにすることへ集中していました。
初連載を続けながら、物語を大きく育て、最後まで届けようとしていた様子が伝わります。
まとめ
採用されなかった『神剣破壊』にも、次の漫画で使える着想がありました。
藤田さんは、同じ話の修正を続けた後、別の物語を作ることで初連載へ進みました。
『うしおととら』を読むとき、二人の出会いを描く第1話の前にも、描いては直す仕事があったことを思い浮かべられます。




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