樹林伸はマンガボックスで何をした? 初代編集長の作品選びと新人の場

インタビューに応じる樹林伸 樹林伸
早稲田大学の本人インタビュー掲載写真。撮影:加藤甫。

樹林伸は、2013年に始まった漫画アプリ『マンガボックス』の初代編集長です。
雑誌のコンセプトを考え、漫画家と編集者を集め、掲載する作品を選びました。
自分でも原作を提供し、新人が作品を発表する仕組みについても語っています。

漫画原作者として独立した樹林さんが、なぜ編集長の仕事を引き受けたのか。
2014年のラジオ出演と後年の本人取材をたどると、作品の話を作る仕事に加え、いくつもの作品を掲載する雑誌を立ち上げた経緯が分かります。

インタビューに応じる樹林伸
樹林伸。早稲田大学の本人インタビューより。撮影:加藤甫。 出典

独立後、初めて会社に所属して編集長になる

樹林さんは『週刊少年マガジン』の編集者として働き、原作執筆を並行した後、1999年に独立しました。
『GetBackers』では青樹佑夜、『サイコメトラーEIJI』では安童夕馬という名義で原作を書いています。
編集者から原作者へ進んだ経緯を知ると、マンガボックスの仕事にも、以前からの編集経験が続いていることが分かります。

編集長就任の依頼は、それ以前にもありました。
しかし、樹林さんは断っていたそうです。
DeNAからの話を引き受けたのは、大きな資本を持つ会社が根気強く投資できるなら、という期待があったためでした。
独立してから、きちんと会社に所属したのは、このときが初めてだったと振り返っています。

漫画家を探すだけでなく、編集者を探し、それぞれと条件を交渉する。
樹林さんは、自分の原作も提供しながら、毎日その仕事に追われていました。
人を集め、作品を作って雑誌を動かすところから携わっていたのです。

スマートフォンで、いろいろな漫画に出会える雑誌を作る

マンガボックスは、2013年12月に週刊漫画雑誌のアプリとして始まりました。
創刊時には28作品が並び、『高遠少年の事件簿』『寸劇の巨人』なども掲載されています。
初期の仕組みでは、毎日数作品ずつ更新し、一週間で一冊分になる形でした。

2013年マンガボックスの画面と高遠少年の事件簿、寸劇の巨人
2013年のマンガボックス創刊時の公式画像。『高遠少年の事件簿』『寸劇の巨人』などが並ぶ。©各著者・出版社/DeNA。 出典

後に編集部へ加わった松崎武吏は、樹林さんが掲げたのは、気軽に立ち読みできる雑誌だったと説明しています。
もう一つは、幕の内弁当のように、いろいろな作品を楽しめることでした。
一作品だけを選んで読むのではなく、アプリを開いたところで、別の漫画にも出会える雑誌を考えていたのです。

2014年の『SCHOOL OF LOCK!』出演時にも、樹林さんは、コンセプト作り、スタッフ集め、作品選びが自分の仕事だと話しています。
掲載作品をそろえることと、その作品を作る人を集めることの両方が、編集長の仕事に入っていました。

投稿作品を、読者へ届ける仕組み

同じ番組で樹林さんが紹介したのが、インディーズの投稿システムです。
当時は、作品を投稿すると、閲覧回数の多い作品が上の方に表示される仕組みだと説明しました。
読まれた作品が、マンガボックス本誌に掲載される可能性もあると話しています。

2014年の番組でマイクの前に座る樹林伸
2014年7月8日『SCHOOL OF LOCK!』出演時の樹林伸。TOKYO FMの番組記録より。 出典

描いた漫画を発表し、読者の反応を得る。
そこから本誌への道が開けることもある。
樹林さんは、プロの作品が並ぶ雑誌を作ると同時に、自分の漫画を読者へ届けたい人に、本誌へ進む可能性も伝えていたのです。

番組には漫画家や編集者を目指すリスナーからの質問も寄せられました。
樹林さんは、編集者と作家の両方を経験した立場から、年長者が楽しい雰囲気を作り、若い人が意見を言いやすくすることを大切にしていると話します。
自分で原作を書く人でも、周囲から案が出る場を作ろうとしていました。

編集長でありながら、『新宿D×D』の原作も書く

マンガボックスでは、樹林さん自身の新作も発表されました。
2014年に配信が始まった『新宿D×D』です。
原作は安童夕馬、作画は彭傑、構成は八坂考訓という役割で作られました。

新宿D×Dの医師と刑事のイラスト、マンガボックスの画面
『新宿D×D』配信開始時の公式画像。安童夕馬原作、彭傑作画、八坂考訓構成。©各著者/マンガボックス。 出典

舞台は新宿・歌舞伎町。
医師の伊達戌亥と刑事の醍醐まりあが組む、犯罪サスペンスです。
病院を追われて非合法の治療も引き受ける医師と、規則をはみ出す刑事を組み合わせた作品として、配信開始時の公式発表で紹介されています。

この作品は、樹林さんが編集長として選ぶだけの立場ではなく、原作者としても新しい雑誌へ参加した例です。
漫画家を集めて掲載作をそろえ、自分でも別の描き手と組んで作品を出す。
編集と原作の二つの仕事が、同じアプリの中で重なっていました。

雑誌を育てる時間と、後任への引き継ぎ

2022年の本人取材で、樹林さんは、雑誌を作ることは文化を作ることであり、時間がかかると振り返りました。
就任にあたっては、最低でも5年は投資を続けてほしいと求めたものの、話し合いで最低3年ということになったそうです。

帽子をかぶり、2022年の本人インタビューに応じる樹林伸
2022年の本人インタビューに掲載された樹林伸。中山淳雄取材、gamebiz。 出典

樹林さんは、立ち上げから3年目に、安江亮太へ編集長の仕事を引き継ぎました。
安江さんも、公式インタビューで、アプリ開発と編集部の両方を横断する責任者になった経緯を説明しています。
後の編集部では、樹林さんの掲げた雑誌の気軽さと、さまざまな作品を楽しめる考え方を受け継ぐと語られました。

まとめ

後任の編集部が受け継ぐと話したのは、どんな雑誌を読者へ届けるかという、樹林さんの考え方でした。
気軽に開けて、いろいろな漫画と出会えること。
マンガボックスでの樹林さんの仕事は、原作を書き続けるだけでなく、自分以外の描き手も作品を発表できる場所を作る仕事だったのです。

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