真倉翔と岡野剛はどうコンビになった?『ぬ~べ~』を生んだ分業と意見のぶつかり合い

ぬ~べ~と生徒たちが描かれた週刊少年ジャンプ1993年38号の表紙 漫画家・作者
『地獄先生ぬ~べ~』連載開始号。『週刊少年ジャンプ』1993年38号/集英社。

『地獄先生ぬ~べ~』の原作・真倉翔さんと漫画・岡野剛さんを結びつけたのは、二人の担当編集者だった佐々木さんです。
それぞれの連載が短期で終わった後、真倉さんは物語作りに、岡野さんは作画に力を注ぐ組み方を提案されました。
もっとも、二人が最初から理想の分業だと喜んだわけではありません。
岡野さんには、ネームまで人に任せて自分の作品といえるのか、という戸惑いがありました。

二人とも、単独連載で挫折を経験していた

真倉さんは『天外君の華麗なる悩み』、岡野さんは『AT Lady!』を『週刊少年ジャンプ』で連載していました。
『天外君』の連載開始は1991年、『AT Lady!』は1989年です。
二人とも、自分で話と絵を手がけた漫画家でした。

『AT Lady!』は10週で終了しました。
岡野さんは次の作品も準備しましたが、予告まで出たところで掲載が立ち消えになっています。
好きなものを詰め込んだ連載と、その次の企画が続けて実を結ばず、新しい作品を作る気力を失ったと本人が振り返っています。

真倉さんも『天外君』の終了を告げられ、焼肉店で人前も構わず泣いたといいます。
真倉さんには、週刊ペースで作画を続ける負担という課題もありました。
真倉さんはデッサンをきちんと取って描くタイプで、素早く絵を仕上げるのが難しかったのです。

佐々木編集者が提案した、原作と作画の組み直し

真倉さんの話作りを評価していた佐々木さんは、作画を別の漫画家に任せれば、物語に集中できると考えました。
一方、岡野さんには絵を描く役割を勧めます。
二人の前作を担当していた編集者が、それぞれの次の仕事を一緒に考えたのが、コンビ結成のきっかけでした。

岡野さんは漫画の大事な部分をネームだと考えていたため、それを描かない立場には抵抗を感じていました。
真倉さんと二人で、自分たちの作家性を否定されたのではないか、とこぼしたこともあったそうです。

二人は刑事の企画と霊能力者の企画を組み合わせ、1992年に読切『地獄先生ぬ~ぼ~』を発表します。
本誌での読切を経て、1993年には『地獄先生ぬ~べ~』の連載へ進みました。

真倉さんはネームを描き、岡野さんは画面を作り直す

真倉さんの原作は、小説のような文章を岡野さんへ渡すだけのものではありません。
コマを割り、人物の表情や台詞まで描き込んだネームを作ります。
ネームは、漫画のページをどんな流れと画面で見せるかを決める設計図です。
武豊町の広報インタビューでも、真倉さんはこうした仕事の分担を説明しています。

ノートにコマ割りと人物や台詞が描かれた地獄先生ぬ~べ~怪のネーム
真倉さんによる『地獄先生ぬ~べ~怪』のネーム。2025年の取材で公開されたもの/集英社、撮影:長谷部英明。 出典

岡野さんは、そのネームを受け取ってから、コマの大きさや見せ方を組み直します。
ゆきめの初登場では、ネームで3段ほどに収まっていた場面を、1ページ使って描きました。
岡野さんは真倉さんのネームよりも人物の頭身を高く描くため、小さなコマでは顔も小さくなってしまうのです。
大きく描いた分、後のページでは内容を整理する必要も生まれました。

教室の戸口で鵺野先生に声をかけるゆきめの初登場ページ
真倉翔・岡野剛『地獄先生ぬ~べ~』第30話「なごり雪―季節はずれの雪女の巻」/集英社。 出典

岡野さんがネームをそのまま原稿にしたときには、佐々木さんから、漫画家なのだからもっと良くするよう求められたといいます。
完成した話にきれいな絵をつけるだけでなく、岡野さんも漫画を作り直す役割だったのです。

真倉さんのブラックな笑いと、岡野さんの理想の先生像

意見の違いは、絵の見せ方だけではありません。
真倉さんは以前からブラックなギャグを描き、悪い大人を描くのが好きだったといいます。
真倉さんは、ぬ~べ~が授業をせずパチンコへ行ってしまうほどだらしなく、いざというときは頼れる、という案も考えていました。
岡野さんは、そんな先生は描きたくないと反対します。
霊能力や鬼の手がなくても、ぬ~べ~は良い先生であることが第一でした。
岡野さんが人物作りで頼りにしたのは、小学生の頃に憧れた先生のイメージです。

真倉さん自身も二人で受けたインタビューで、子供を守るとまっすぐに言う熱血さは、一人では照れくさくて描けなかったと語っています。
岡野さんの理想の先生像が加わったことで、真倉さんにとっても新しい描き方になりました。

まとめ

岡野さんがこだわった「良い先生」という軸を、真倉さんも自分には描きにくかった熱血さとして受け入れました。
二人が組んだことで変わったのは作業の分担だけでなく、どんな主人公を描けるか、という部分でもあったのです。

コメント

アクセス解析について
タイトルとURLをコピーしました