戸愚呂弟は、自分を倒した幽助の行く末を案じていた。
戸愚呂兄は、いくら攻撃しても倒れない蔵馬の幻影に怒り続ける。
兄弟の戦いが終わったあとに残る、この違いは大きい。
弟が向かう冥獄界と、兄を捕らえた邪念樹。
どちらも長く続く苦しみだが、二人をそこへ導いた思いは同じではない。
弟には自分を許せない思いがあり、兄には相手を倒し、さらに力を奪おうとする欲がある。
二つの結末を並べると、力を手に入れても解決できなかった、それぞれの問題が見えてくる。
弟は仇を倒しても、自分を許せなかった
弟は幽助に敗れたあと、自ら冥獄界を望む。
コエンマは格闘家としての功績を考慮し、もっと軽い地獄で済むと告げるが、弟は決定を変えない。
冥獄界では途方もなく長い苦痛を受け、その後は完全な「無」になる。
その頑なさを考えるうえで重要なのが、弟子たちを殺した潰煉には、すでに勝っているという事実だ。

弟が求めた強さは、復讐を果たせなかった者の執念ではない。
仇を討ち、妖怪の体を得ても、弟子を守れなかった過去は変わらなかった。
コエンマは、その後の弟の生き方を、強さを求めると自分を偽りながら続けた「拷問」と捉えている。
つまり、敵への復讐を果たしたあとも、自分を罰することはやめられなかった、という見立てだ。
もちろん、弟自身はそんな説明を認めない。
幻海に、もう十分に償ったと止められても、あの出来事で吹っ切れ、強さだけを追求できたと答える。
幻海はその言葉を嘘だと退ける。
本人は強さの追求と呼び、幻海は自分を傷つける行為と呼ぶ。
コエンマと幻海の言葉を踏まえると、冥獄界は、勝っても終えられなかった自分への罰を、弟が死後へ持ち越す場所としても読める。
兄の「無敵」は、勝てない時間を終わらせてくれない
兄は、体を再生して再び幽助たちの前へ現れる。
巻原の体と能力を乗っ取り、今度は蔵馬の能力まで奪おうとする。
何度でも再生でき、他人の能力も得られる自分を、兄は無敵だと考えている。
その兄を蔵馬が捕らえるのが邪念樹だ。
寄生した相手に幻覚を見せ、死ぬまで離さない。
兄は蔵馬と戦っているつもりで攻撃を続けるが、相手は倒れない。
現実の蔵馬は、すでに戦いを終えている。

この末路が恐ろしいのは、兄の自慢だった再生能力が、そのまま残っていることだ。
死なない体は、兄に勝利をもたらしてくれない。
邪念樹から離れられず、勝てない戦いを続ける時間を延ばしてしまう。
兄が欲しかったのは、ただ生き延びることではなく、生き延びて敵に報復し、その力も手に入れることだった。
蔵馬の罠は、その望みをかなえないまま、兄を戦いに留める。
兄は罠の仕組みを知って戦い続けているのではない。
幻影を本物と思い込み、なぜ相手が死なないのかと叫んでいる。
他人をねじ伏せようとする姿だけが、現実の勝負から取り残されて続いていく。
敗れた相手に、何を向けるのか
弟と兄の違いは、誰が罰を選んだかだけではない。
弟は敗北のあと、自分に勝った相手の未来を気遣うことができる。
幻海との別れ際、幽助はこれから強くなるが、間違えば自分のようになると心配し、見守ってやってほしいと頼む。

自分を倒した若者に、同じ苦しみを味わわせたいとは言わない。
むしろ、自分の生き方を繰り返さないようにと願っている。
弟は幽助の勝利を受け入れ、その先の人生を案じている。
幻海が弟自身をいたわり、もう十分だと止めても、弟は応じない。
幽助には違う道を歩んでほしいと願いながら、自分が冥獄界へ進むことは変えないのだ。
弟の最後の姿には、相手を気遣える穏やかさと、自分には厳しいままの頑なさが同居している。

兄には、そのように相手の未来へ目を向ける別れは訪れない。
蔵馬への攻撃が空振りに終わっても、怒りの向かう先は、倒れてくれない相手のままだ。
弟が自分を罰する道を選び続けるのに対し、兄は相手を攻撃する姿のまま閉じ込められる。
二人の苦しみは似ていても、最後まで責める対象が違っている。
二人の強さは、何を解決できなかったのか
弟は仇を倒す力を得ても、守れなかった自分を許せなかった。
兄は壊れない体を得ても、相手に勝てなければ満たされなかった。
だから二人の結末は、強敵が倒されたところで終わらない。
弟が自分に向け続けた厳しさと、兄が他人に向け続けた欲が、敗北後の二つの地獄にまで続いている。


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