和月伸宏さんは、新潟県の旧越路町、現在の長岡市で育ちました。
2016年には地元の長谷川邸で『るろうに剣心』などの原画展に協力し、長岡花火を久しぶりに見ています。
ただ、子どもの頃から長谷川邸や花火の歴史を詳しく知っていたわけではありません。
地元からの誘いを受け、大人になって改めて故郷を知った経緯を、本人が語っています。
原画展の話は、母親を通じて届いた
2016年、旧長谷川家住宅の再建300年を記念する催しで、和月さんの「里帰原画展」が開かれました。
長岡市のインタビューで和月さんは、越路の関係者から母親を通じて声がかかったと振り返っています。
地元のファンに喜んでもらえるなら協力したいという気持ちがあり、母親への思いも参加を後押ししたそうです。
和月さんが育った来迎寺と、長谷川邸のある塚野山は、同じ旧越路町でも別の地区です。
本人は、子どもの頃には長谷川邸を知らず、誘われて初めて現地へ行ったと話しました。
その建物を見て、もっと早く知っていれば『るろうに剣心』の物語の題材にできたかもしれない、と惜しんでいます。

第1話を丸ごと見せた理由
和月さんは、展示する原画を自分で選びました。
『るろうに剣心』の連載時や映画化に関わる絵だけでなく、ほかの作品も少し含めています。
会期前半には『るろうに剣心』第1話の原稿を丸ごと展示し、後半には映画化にあわせて描いた「第零幕」を出しました。
一枚ずつ名場面を抜き出すより、一話を通して作品の世界や主題を感じてもらいたかったというのが本人の説明です。
長谷川邸を見に来て、剣心を知らない人にも作品が伝わるように考えたといいます。
地元での展示を、既存のファンだけの催しにはしなかったのです。
和月さんは、長谷川邸と剣心・薫を一緒に描いた絵も残しました。
新潟県観光協会の2021年の訪問記事では、その複製が館内に飾られていたと紹介されています。
この絵を見るために遠方から訪れるファンもいたそうです。


長岡花火は、数十年ぶりに会場で見た
和月さんが子どもの頃に長岡花火を見たのは一度だけで、その後は上京と連載の仕事もあって足を運べなかったそうです。
地元からの誘いを機に2016年に再び見たときは、花火の大きさや数の変化に驚いたと話しています。
「フェニックス」は視界に収まりきらず、打ち上げの間、顔を左右に動かしながら見たという具体的な感想も残しました。
和月さんは、花火の映像を見て知ったつもりになるのと、会場で音や空気の振動、人々の声を感じるのとでは違う、と振り返っています。
同時に、長岡花火に込められた慰霊や復興の思いについても考えました。
大切なのは毎年催しが続き、人々が無事に集まって笑顔になることだと語っています。

地元への恩返しの前に、漫画を描き続ける
将来も地元と関わるかと尋ねられた和月さんは、まず良い作品を描き続けることだと答えました。
漫画家としての仕事をおろそかにして、地元への恩返しはできないという考えです。
仕事の合間に理由と余裕があれば、また協力したいとも話しています。
子どもたちには、意味や教訓を先に教え込むより、まず作品を楽しんでほしい。
長岡花火の歴史も、楽しさに触れた後で成長とともに学べるというのが和月さんの考えでした。
故郷に対しても、漫画を通じて先に楽しさを渡したいという姿勢が見えます。
まとめ
和月さんと長岡とのつながりは、2016年の長谷川邸での原画展や花火を通して、改めて深まったものでした。
知らなかった地元の文化に驚き、自分の作品を地元で見せる方法を考え、花火を会場で味わった。
地元に何かを返す方法として、和月さんが最初に挙げたのは、漫画家として良い作品を描き続けることです。


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