『地獄先生ぬ~べ~』の作画を担当する岡野剛さんは、最初の担当編集者から、ぬ~べ~の家を描かないよう言われていました。
岡野さんは、生活感を出さず、主人公に神秘性を残すための注文だったと受け止めています。
生徒たちを守る良い先生にしたい、という岡野さんのこだわりとともに、主人公をどう見せるかを知る回想です。
家がどこにあるのかは、分からないまま
この話を岡野さんが語ったのは、吉田悠軌さんの『よみがえる「学校の怪談」』に収められた、真倉翔さんとの鼎談です。
公開されている鼎談の一部で、岡野さんは、担当から主人公の家を出さないよう、何度も言われたと振り返っています。

当初の連載を振り返った岡野さんが思い出したのは、終わり近くに、家の窓だけを描いたことでした。
家がどこかは分からず、宿直室で寝泊まりする先生になっていた、と説明しています。
岡野剛が譲れなかった、良い先生であること
岡野さんには、ぬ~べ~を描くうえで譲れない考えもありました。
2025年の単独インタビューでは、霊能力や鬼の手がなくても、良い先生であることが第一だったと話しています。

主人公を作るとき、真倉さんが考えていたのは、普段はだらしなくても、霊のことになると頼れる先生です。
岡野さんは、先生としてだらしないのは違う、と意見を伝えました。
二人が先生像について交わした意見には、話と絵の分担だけでは分からない、主人公への考え方の違いがあります。
頼れる先生だからこそ、隠しごとが怖くなる
怪談研究家の吉田さんは、同じ鼎談の後編で、子供から見た大人の怖さを話題にしています。
吉田さんが挙げたのは、ぬ~べ~が何かを隠しているように見え、生徒たちにとって危険な存在かもしれないと思わせる場面でした。

吉田さんは、先生が守ってくれるという信頼があるからこそ、そうした不安も生まれると捉えています。
初めから先生と生徒が対立している関係とは、怖さの生まれ方が違うという見方です。
真倉さんも、生徒はぬ~べ~が必ず守ってくれると思っていても、先生が頼りなく見えると怖がってしまう、と応じています。
妖怪が登場する瞬間には、大きな絵で読者を驚かせる工夫があります。
先生の描き方についての鼎談では、それとは別に、子供が大人をどこまで知っているかという怖さも語られていました。
まとめ
生徒を守る先生として描くこだわりと、暮らしの全ては見せないという注文は、同じ主人公を形にしています。
作者たちの回想と吉田さんの見方を合わせると、頼れるはずの先生にも分からない部分がある、その距離感にも『ぬ~べ~』の怖さがあったと捉えられます。


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