『スプリガン』の作画を皆川亮二さんが担当したきっかけは、原作者のたかしげ宙さんと皆川さんを、担当編集者が結び付けたことです。
皆川さんはデビューしたばかりの新人で、たかしげさんとは連載開始後に初めて会いました。
編集者から渡された原作を描き始めたことが、二人の共同制作の出発点だったのです。

神崎将臣の手伝いから、デビュー作『HEAVEN』へ
皆川さんは、高校の同級生でもある漫画家・神崎将臣さんの仕事を手伝っていました。
そのとき、『サンデー』の編集者から漫画を描いてみるように声をかけられます。
皆川さんは2023年のたかしげ宙さんとの対談で、編集者の言葉を本気で受け止め、必死になって描いたと振り返っています。
その漫画が、1988年のデビュー作『HEAVEN』でした。

編集者は、皆川亮二本人が知らないうちに作画を考えていた
一方、たかしげさんは『スプリガン』の原稿を編集部に持ち込んでいました。
当時、皆川さんとは担当編集者も違い、面識もありません。
たかしげさんの担当Kさんは、作画を任せたい人物として皆川さんを考えていたといいます。
たかしげさんは、Kさんから「ちょっと描かせたい人がいるから」と言われたと回想しています。
さらに、皆川さんが次に入選したら、この原作を描かせるつもりだとも聞いていました。
皆川さん本人が『スプリガン』を担当することを知らない間に、作画を任せる話が進んでいたのです。
皆川さんに原作が渡されたのは、担当に挨拶へ行ったときでした。
そこで『スプリガン』を描くように言われ、引き受けます。
新人だから断れなかった、と皆川さんは笑いを交えて振り返っています。
こうして、1989年に『スプリガン』の連載が始まりました。
原作を持ち込んだたかしげさんと、新人の皆川さん。
別々に漫画の仕事を始めた二人を、編集者が一つの連載へ結び付けたのです。
原作を読んで、映画の好みが合いそうだと感じた
二人が初めて顔を合わせたのは、連載開始後の忘年会でした。
会ってみると同い年で、好きなものも重なり、話が合ったとたかしげさんは語っています。
会う前から、皆川さんは二人の映画の好みが合いそうだと感じていました。
『スプリガン』の原作を読んで、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』が好きな人が書いたのだろうと感じていたのです。
皆川さん自身もスピルバーグの映画が好きで、映画の影響を受けながら漫画を描いていました。
たかしげさんも、『レイダース』のラストに集められた宝物を見て、それらが全部危険なものだったら、という発想から『スプリガン』を考えたと説明しています。
編集者に紹介されて仕事を始めた二人には、冒険映画を楽しむ共通の好みもあったのです。
『スプリガン』は漫画の基礎を学ぶ連載でもあった
皆川さんにとって、初期の『スプリガン』は漫画の基礎を教わる仕事でもありました。
デビューするまでは漫画を一本きちんと描いたことがなく、担当Kさんから基礎を教え込まれたと語っています。
担当から求められたのは、とにかく面白くすることでした。
皆川さんは、それがいちばん難しかったと振り返ります。
最初の「炎蛇の章」では、まだたかしげさんとも会っておらず、怒られながら描いていた印象が強いそうです。
後にたかしげさんは、二人が実際に会うようになってから仕事が次第にうまくいき、「狂戦士(バーサーカー)の章」の頃にはスムーズになったと振り返っています。
皆川さんも、初期に育ててもらえたことを今ではありがたく思うと語りました。

まとめ
『スプリガン』の始まりをたどると、皆川さんのデビューと、たかしげさんの原作を編集者がつないだ経緯が見えてきます。
二人が出会ったのは連載が始まってからで、仕事を続ける中で、話の合う相手であることも分かっていきました。
皆川さんが感謝を述べたのは、新人時代に漫画の基礎を教わった経験です。
『スプリガン』は代表作の一つであると同時に、皆川さんが連載を担う漫画家として育っていく仕事でもあったのでしょう。


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